実家からの贈り物

エッセイ
連載もの(仮) #4 無意識から生まれるもの、合理性から生まれるもの

米農家である新潟の実家から届いたばかりの段ボール箱を開け、その中に収まっている米袋を出し、テーブルの上に立てて鑑賞する。

小さな頃から実家ではよく目にしていたはずなのに、その時は一度も鑑賞することのなかった米袋。
このようなことを楽しむようになったのは、ここ一年くらいの話。


人は、今まで目にしたことのないものに出会ったとき、「面白い」「美しい」「気持ち悪い」といつもよりも強く感じることが多いように思う。
そして、そういったときは、なぜそう思ったのかすぐに理由が見つからないものだ。

私にとっては、この米袋もそのひとつ。
ただし、一度結びを解いてしまったら、もう特別な感情をいだくことはない。

何年にもわたって毎年700袋以上も封をしてきた実家の父母と弟夫婦の手による無意識の作業、合理性からくる反復作業でしかこの塩梅にはならないのだろう。

ちなみに、この結び方は農家によって違うそうだ。
おそらく私の実家の結び方はとても一般的なのではないかな。

ちょっと遊び心を持って変わった結び方をしている農家もあるようだ。
そういった遊びも好きだが、どちらかというと、私の実家の結び目のように機能を果たすに十分なところでやめておく、手間をできるだけ減らして用を足る、といった方が私の好み。


そうそう、改めてこの米袋の結び目を眺めていて相撲力士の髷(まげ)に似ているなと思った。
造形的に似ているんじゃなくて、なんというか、共通するものを感じるなぁ、と。

そのあたりのことについては、また今度。


2月21日
宇野港にて