大きくて、何が悪い

エッセイ
連載もの(仮) #11 大きくて、何が悪い

つい先日、近所の駄菓子屋で、小さな木のスプーンをみつけ、柄にもなく「かっわいいー!」と声に出してしまった。

どうやら「ヨーグル」(*1)という駄菓子にあわせて作られたスプーンのようだ。


小さいだけでかわいいと思うものは、よくある。

まずは人間や動物の赤ちゃんがそうだ。
明らかに見た目も違うし、かわいらしくゆっくり動くし、それはそれはかわいい。
どんなに凶暴な猛獣でも、赤ちゃんだけはかわいいもんだ。

あとは植物の新芽などもそうだし、玩具として作られた小さな家具や台所道具などもそうだ。
動くものでなくても、小さなものはかわいい。


逆に、どんなに小さくてもかわいいと思えないものもある。
と思って考えてみたが、不思議と思いつかない。
強いてあげれば、bollardでも扱っているカトラリーは、小さくてもそんなにかわいいとは感じないかも。
まあ、でもやっぱり、かわいいかもしれない・・・。

もしかしたら、この世のほとんどのものは、ただ小さいだけでかわいいと感じてしまうんじゃないだろうか。
そして、かわいいというのは一つの感情であって、小さいだけで美しいと感じることもあるんじゃないだろうか。
例えば、盆栽や箱庭、水草水槽などはそのあらわれなのかも、と思った。


なぜ小さいだけでかわいいと感じるのか。
冒頭のスプーンと出会ってからの数日間、ずっと疑問に思い考えているが、まだ答えが見つからない。

そのことと同義とも言えるが、大きくなるにつれてかわいいと感じることが少なくなるのも、考えてみれば不思議だ。


しかし、いろいろと調べていて分かったことが1つだけある。
どうやら、この感覚は、だいぶ昔からあるようなのだ。

西暦1000年頃、清少納言が書いた随筆「枕草子」の第百五十一段「うつくしきもの」(*2)の中にそれを見ることができる。
(当時の「うつくしい」は、現代語に訳すと「かわいらしい」となるようだ)

この中で清少納言は、「うつくしきもの(かわいらしいもの)」として人間の赤ちゃんはもちろん、鶏の雛や、雛人形の道具、蓮の浮葉の小さいものなどを挙げ、「ちひさきものはみなうつくし(何もかも、小さいものはみなかわいらしい)。」と綴っている。

普段は、こういった古典は読まないのだけれど、この段だけ何度も読んでしまった。


もしかしたら、これは日本人に特有の感覚なのだろうか。
海外事情に詳しい方、知っていたら教えてください。


5月9日
昔は大きくて、今は小さな宇野港にて


*1 駄菓子のヨーグル
*2 枕草子 第百五十一段「うつくしきもの」 の原文と現代語訳
*3 筆者の身長は185cm、顔もデカい。